東京地方裁判所 昭和55年(ワ)3072号 判決 1981年10月06日
原告
奥田公恵
右訴訟代理人
辻中一二三
同
橋本佐利
同
辻中栄世
被告
東京生命保険相互会社
右代表者
柴山敏夫
右訴訟代理人
加藤一昶
主文
一 被告は原告に対し、金一四五九万七六二五円及びこれに対する昭和五五年四月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文同旨の判決
2 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 訴外亡佐々木勲(以下「佐々木勲」という。)は、被告との間において、昭和四八年二月二八日、左記の災害倍額家族保障保険契約を締結した。
(一) 保険期間 二〇年
(二) 保険料 七万二一〇〇円 年二回払
(三) 災害死亡保険金及び家族年金
被告は、被保険者が保険期間中、契約日以降の不慮の事故を直接の原因として、その事故日から起算して一八〇日以内に死亡したときには、満期保険金額一〇〇万円の二倍に相当する金額を災害死亡保険金として死亡保険受取人に支払う。被告が右災害死亡保険金を支払つた場合には、その支払事由が発生した日の翌年の応当日を年金支払開始日とし、以降毎年のその応当日を年金支払日として、年金支払開始日から九年間、災害死亡保険金額二〇〇万円を年額とする家族年金を家族年金受取人に支払う。ただし、災害死亡保険金を支払う場合、傷害給付金をすでに支払つているときには、満期保険金額にその該当する給付割合を乗じて得た金額を災害死亡保険金額および家族年金額から差し引いて支払うとともに、保険契約者(家族年金の支払事由発生以後は家族年金受取人)の請求により、年金支払日が到来していない家族年金の全部についてその現価相当額を家族年金受取人に支払う。
(四) 被保険者 佐々木勲
(五) 満期保険金受取人 佐々木勲
(六) 死亡保険金受取人 佐々木一男
2 昭和五三年四月一七日、満期保険金受取人及び死亡保険金受取人は原告に変更された。
3 しかるに、佐々木勲は、昭和五四年二月三日午前四時三〇分ころ、大阪市港区三先二丁目一四番三一号所在の自宅において、包丁で胸部を突き刺されるという不慮の事故により死亡した。
4 佐々木勲は、昭和五二年六月三〇日、不慮の事故による左眼失明により傷害給付金二五〇万円を被告からすでに受領しているため、本件死亡事故時の災害死亡による保険金額及び家族年金額の合計額は一七五〇万円となるところ、これをさらに現価相当額に換算し一括支払いとすると、一四五九万七六二五円となる。
5 よつて、原告は、被告に対し、右保険金一四五九万七六二五円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五五年四月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実はすべて認める。
三 抗弁
被告は本件保険契約を締結するに際して、佐々木勲との間で被保険者の不慮の事故による死亡が死亡保険金受取人の故意または重大な過失によるものであるときは災害死亡保険金等の支払をしない旨約したところ、被保険者である佐々木勲の死亡は、死亡保険金受取人である原告が故意に包丁で同人の胸部を突き刺して殺害したことによるものであるから、被告は原告に対し死亡保険金等の支払義務を負担する筋合ではない。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実中、佐々木勲の殺害が原告の故意によるものであることは否認し、その余の事実は認める。
五 再抗弁
原告は、佐々木勲を殺害した当時、非定型精神病のため、心神喪失の状態にあつたものであるから、被告が免責される事由はない。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁事実は否認する。
七 再々抗弁
原告は本件殺害当時心神喪失の状態にあつたとしても、これは精神病の再発を防止するための薬を服用することを怠つたという過失により、一時の心神喪失を招いたものであるから、被告は免責され、死亡保険金等の支払義務はない。
八 再々抗弁に対する認否
再々抗弁事実は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因事実は、すべて当事者間に争いがない。
二そこで、抗弁について判断する。
被告が佐々木勲との間で本件保険契約を締結するに際して、被保険者の不慮の事故による死亡が死亡保険金受取人の故意または重大な過失によるものである場合には災害死亡保険金等の支払をしない旨約したことは当事者間に争いがない。
<証拠>を総合すれば、原告は、佐々木勲の前胸部を六回にわたり出刃包丁で突き刺し、心臓刺創の傷害を負わせ、その結果、短時間のうちに同人を失血により死亡させたことが認められる。右認定の事実によると、原告は、佐々木勲を死亡させることを認識しながら前記行為をなしたものと推認される。
三次に、再抗弁について検討する。
<証拠>を総合すれば、原告は、前記のとおり佐々木勲を殺害した後、殺人、同未遂被疑事件の被疑者として取調べを受けたが、昭和五四年二月二一日精神衛生法二五条の規定により検察官から大阪府知事に通報され、精神鑑定医による診察を受けたうえ、翌二二日大阪地方検察庁において不起訴処分とされ、同日茨木市内の藍野病院に入院し、非定型精神病との診断を受け、同年六月三〇日まで入院、加療を受けたことが認められる。
そして、右事実に、原告が不起訴とされた被疑事実が殺人、同未遂という重大な犯罪であることを考慮すれば、原告は前記殺害の当時心神喪失の状態にあつたものと推認することができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
判旨そこで、被保険者の不慮の事故による死亡が死亡保険金受取人の故意または重大な過失によるものであるときは災害死亡保険金の支払をしない旨の約定が、死亡保険金受取人が心神喪失の状態で事故をおこした場合においても適用があるか否かについて判断する。右約定は、商法六八〇条一項三号と同様に、被保険者を殺害した者が保険金を取得することは公益上好ましくなく、信義誠実の原則にも反するばかりでなく、保険の特性である保険事故の偶然性の要求にも合致しないとの趣旨に基づくものであり、ただ災害による死亡の場合は通常の倍額の保険金が支払われることに鑑み、重過失をも免責の対象に加えたものであると解される。ところで、右の趣旨は、保険金受取人が、故意または重過失という、その意思活動の結果保険事故を招致した場合に該当するものであるが、心神喪失の場合にはその意思決定の前提たる責任能力を欠くのであるから、これが保険金を取得しても、右の不当な結果をもたらすものとはいえない。したがつて、右約定も、責任能力の存在をその前提としているものと解され、保険金受取人が当時心神喪失の状態にあつたことを主張立証したときには、保険者は右約定による免責をされないものと解すべきである。かく解することは、商法六八〇条一項一号の「自殺」が、精神病等による心神喪失中のものを含まないと解されていることにも合致するものである。
結局、被保険者が保険金受取人たる原告によつて殺害されたものであつても、右殺害が心神喪失の状態でなされたものである以上、保険者たる被告は、前記約定によつて免責され得ないものと解すべきである。
四さらに、再々抗弁について検討する。なるほど原告本人尋問の結果によれば、被告主張のとおり原告は、前記殺害の以前、精神病の治療のための薬を服用していたが、佐々木勲がこれを不要であるとして捨ててしまつたため、以後は全く服用していなかつたことを認めることができる。しかしながら、右の事実が原告が佐々木勲を殺害した当時の心神喪失状態を招く原因となつていることについては、これを認めるに足りる証拠は何もない。したがつて、保険契約における前記免責の約定においても、民法七一三条但書と同様に解すべきであるとしても、被告の右主張は理由がない。
五以上の事実によれば、前記保険金一四五九万七六二五円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五五年四月一七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は全部正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。
(岡田潤 北山元章 佐村浩之)